舞台 刀剣乱舞 慈伝 日日の葉よ散るらむ

舞台 刀剣乱舞 慈伝 日日の葉よ散るらむ
東京公演、観劇してきました。

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以下、ネタバレ含む感想です。

 

観てから数日経っていて記憶も薄れつつあるし、何より定点カメラに定評のあるわたしが19振りも見届けられるわけがないのでまんばちゃんと長谷部中心に書いていくね。全然纏まらないからかなり絞り込んでみたはずなのに、それでも取り留めのない文になってしまった…

他の子のお話もしたい…けどそれは大千秋楽が終わった時に、気力が残ってたら書きます。

 

ちなみに脳直メモはこちら。


ステなのに花丸本丸って噂を聞いてたものの、騙されないぞ…!!!って思いながら挑んでみたら、やっぱり最後は思いっきり泣いてしまったので末満のおじさん…許すまじ…(ありがとうございます)


オープニング(映像)で聚楽第が終わり、これは本当に舞台刀剣乱舞なの?って思うほどに和やかに始まるキャストパレード。まさかの内番着。
そして暗転してみんなはけていく中、1人おもむろに運動靴を脱いでいく子がいてあまりにも気になりすぎたよね。
いつ回収するの…その運動靴…って思ってから体感20分後、長谷部くんやっと靴履きました!
その間、頭の片隅にずっと運動靴いたんだけど…わたしだけ??靴脱ぐ時も背筋がピンと伸びていて可愛かったです。

 


慈伝の中で一番印象的だったのが長谷部なんだけど、「全ては主のため」と言いながら誰よりもまんばちゃんのこと心配している姿に、これまで一緒に戦ってきて、共に成長してきた絆を感じてもう泣きそうになったよね…。
そしてまんばちゃんとジョ伝メンバーとの関係性。長谷部だけじゃなくて同田貫や、小夜との変化も描かれてたのが嬉しかった。
ジョ伝では一緒に戦わないとまで言った同田貫が、軽んじた発言をされたからと激昂してるんだよ…。そしてお小夜…。長義に対して諭しているところ、これもやっぱり共に戦い、修行を経たからこその言葉なんだろうなぁと目頭が熱くなりました。


ジョ伝では本丸初期からの成長を描いていたのに対し、今回はそこからの成長、三日月や本丸襲撃のことをどう受け止めて、乗り越えていくかもキーの一つになっていると思う。これまでの物語とこれからの物語の結びとなるお話。だからこそジョ伝メンバーが中心に事が進んでいくのかなぁと。


そしてついに修行へ。
躊躇っている姿を見て、長谷部がまんばちゃんを後押しする時、それまでだったらいない間、俺が近侍をって絶対言っただろうに、行ってこいと伝え、そんな事は言わないんだよね。
「俺」じゃなくて「俺たち」本丸のみんなって言うのも本当に成長したんだなぁって痛感するシーンだった。
序伝からの成長は言うまでもないし、如伝の時もまだ自分で「当てつけではないんだが」と言いつつも「屈辱だよ」と話していたり。そんな過去を一緒に乗り越え、共に戦ってきた相棒にだからこそ、自分が一番渇望している事も出でこず、素直に後押し出来たのかなって。


これまでみてきた主、長政様、信長、黒田組、織田組へ向ける顔。そして山姥切国広に対して。全部違う顔を見せるけど、どれも間違いなくへし切長谷部であって。
こんなコメディをあの堅物がやってもキャラクターのイメージがぶれることなく、ただこれまで知らなかった引き出しの中を垣間見ることができたって気持ちにしてくれたこの作品に心より感謝を。
あとジャージの裾、めくれ上がらないように何度も直している姿とか、博多に擽られて素でびっくりしてる姿とか、そういった一面も愛おしかったです。


そして、まんばちゃん。
修行に行く時、ついにこの時が来たか…って心情で見届けるのだと思ってた…思ってたのに、マントの上に旅装束を羽織ってる姿が似合わなすぎてつい笑ってしまったよね…。
とはいえ、笑ったのは一瞬で、三日月からの言葉(なんて言ってたのか全く思い出せない…記憶喪失…)を聞いて、まんばちゃんちゃんが微笑んでくれて、良かったなぁの一言に尽きた。


長谷部と三日月の話をする時のまんばちゃん、「いつもその目で俺を…」の時のお顔をしてて。
今ここにはいなくても、三日月は変わらずまんばちゃんの中でいて、助けられなかった、けどもっと強くなって絶対に助けにいくという気持ちでいてくれてるんだなぁって…。

 


エンディング。
今回は番傘に元から字が書いてあるのではなくてプロジェクションマッピング。位置バッチリ合わせて来て凄かった。


そして最後に挨拶する時も、長谷部がまんばちゃんにタイミング合わせてて。今回は、どのシーンでも長谷部くんがまんばちゃんのことを気にして、誰よりも心配してて、でも最高に不器用なのが本当に愛おしいなぁ…。悲伝の時、不動にはあんなに合わせる気なかったくせに(笑)(役者間の信頼関係からなるものだけど。)終始まんばちゃんに目をやって心を配っているのがね… 。
と思って家帰ってパンフ開けたら長谷部がまんばちゃんを見遣っていたんですが…もう…。生真面目で不器用な彼がらしいなぁってさらに愛おしくなった。


そして一番最後、まんばちゃんがはける時。
今日もマントばさってやってくれたのだけど、これを見れるのも多分今回が最後なんだろうなぁって寂しくなっちゃった。書いてる今も泣きそう。
極めて強くなったまんばちゃんも見たいし、好きだけど、やっぱり布をさばきながら舞うような、あの殺陣が本当に素敵だからそれが見れないのかと思うと寂しいなぁ…。


悲伝の最後にまんばちゃんが言っていた「またいつぞや始めよう」のいつぞやっていつの事を指すのかなぁと考えてたんだけど、慈伝は模擬戦や最後に遠征に行くシーンはあれど、まんばちゃんは出陣していない。あくまで本丸での日常の一幕だから、これはいつぞやにはならないのかなぁと個人的には思っていて。
希望的観測を思い切り込めて話すならば、まんばちゃんが言ういつぞやが来たこそ、三日月を救い出す物語が始まる時だと思ってるから、それがきっと次回作でありますように。

 

 

 


ほのぼのとした本丸での日常を描いたコメディで、中盤まであんなに笑ってたのにも関わらず、ここまで切なくて悲しいのは、長谷部の言う通り「三日月がいなくなってどこか抜けているところがある」(ニュアンスこんなこと言ってた)からなんだよな。
まんばちゃんは毅然とした態度でいるけどまだ円環の果てから抜け出せてなくて。ぶり返した!って言われてはいるものの長義が来たことによる拗らせはほぼ無くて、やっぱり彼の心の中を占めているのは三日月宗近なんですね。
「写しだから救えなかったのか。」と思ってしまうまんばちゃん。長義に対して圧倒的な力の差を見せても尚、三日月が救えない強さなど意味がないと思ってて、だからこそ強さを極め、また一歩進んでいくんだろうね。


日々の葉よ散るらむ
されど営みは続く


三日月が失われても、時は進み、動いていく。
みんな何処かに傷を負って、それでも動き出さなきゃいけないから必死に生きている。けれど、心の中に出来た穴はあまりに大きすぎて。
「悲しみは今もこの胸に」だからこそ「悲」を描いた物語よりも、切ない物語なんだろうね。
三日月が救われない限りはどれだけ慈愛に満ちた物語でも悲伝の延長線でしかないから。
早く、結の目が断ち切れるその日を祈って。